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館長の談話室

談話室(7)

記録的に暖かい春の到来だったせいか、水仙、桜、菜の花、すみれ、レンギョウ、椿、雪柳、などなど、今年は一斉に春の花々が開花して、愛でる時間も急かされるような春爛漫になりました。

コミネスでは4月1日に今年のラインアップを発表させていただきました。
話題満載、“乞うご期待”の自信を持ってお勧めする企画が目白押しです。
クラシックからポップス、ジャズ、そして演劇やコンテンポラリーダンスと、まさに百花繚乱です。

新年度はじめの公演になる5月16日の「フジコ・ヘミング with N響メンバーの仲間たち」は、おかげさまで完売という状況になり、うれしい幕開けとなりました。多くの困難を乗り越えてきたフジコ・ヘミングさんの人生は、ドキュメンタリー番組などでも取り上げられ、多くの方がご存じです。独創性に富んだその演奏・音色は、強い引力を持って聴くものに迫ってきます。演奏を心待ちにしていただきたいと思います。

当たり前のことですが、クラシックの演奏は、元の楽譜は同じなのに、演奏家によって、そしてその時の演奏によって、繊細なもろもろが絡み合って、(優劣とはまた別の次元で)ひとつとして同じものがありません。

オーケストラの場合は、指揮者によってまるで曲の印象が変わることもあります。
楽譜という厳然たるものが存在するのに、結果、演奏は皆違ってくるのです。
その秘密はいったい何なのか・・・。

もちろん曲想や楽理の解釈の違いはあります。楽器の違いもあります。経験値の差もあれば、技術の違いもあるのでしょう。もしかするとその日のコンディションもあるでしょう。
でも突き詰めれば、すべての表現活動がそうであるように、あらゆるものをひっくるめて、それを演奏する「人間」が表れるのではないかと思うのです。

 

私の場合、演劇に置き換えると納得します。

例えば、シェイクスピアのハムレットは1601年に書かれて以来、400年余の間に、世界中で数えきれないほど演じられてきています。おそらく、地球上に何百人、いや何千人のハムレットがいると思われます。台本はすべて同じ(言語は異なりますが)ですが、国、時代、年代の違う俳優によって何千人ものハムレットが存在するわけです。

 

「To be or not to be, that is the question.」
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」(河合祥一郎・訳)

 

世界中の言語に翻訳されたこのセリフが、世界中の俳優によって演じられ、それぞれの時代にそれぞれのハムレットが生み出されているのです。

ローレンス・オリビエもピーター・オトゥールも、ジュード・ロウも仲代達矢も渡辺謙も藤原竜也も、みなハムレットを演じて同じセリフをしゃべってきたわけです。これらの個性あふれる面々の名前を見ただけで、全く印象の違うハムレットになったであろうことはお判りいただけると思います。渾身の役作りであればあるほど、違いが大きくなります。

それは、その俳優の技術も経歴も思考も感情もすべてが濃密に凝縮されて姿を現すからです。
その上、(やはり演出家の立場でいえば)演出が違うので、実際の舞台は舞台美術などのビジュアルもまるで違います。私自身、様々な規模の公演で、おそらく数十人の俳優による「ハムレット」を観ていますが、どれ一つ似ていたということはありません。

「今回は一体どんな表現になるのだろう。あの俳優はどんな演技を見せてくれるのだろう。」

そのことにワクワクしながら、毎回劇場に駆けつけます。

 

「人それぞれ」・・・。
「多様性を大切に」ということが、取り立てて言われる昨今ですが、芸術の表現においては、「多様性」こそが、すべての出発点です。その上で「より質の高い表現」を求めて切磋琢磨しています。

たくさんの音楽、たくさんの演劇、たくさんの文学、たくさんの美術に出会っているならば、「一人一人は違う存在で、それぞれが固有の考えや生き方を持っていて、それをお互いが尊重しあって生きているのが、この世界である」ということは、当たり前に受け入れられるはずなのです。

ちょっとだけ窮屈な日常が続いてしまっている今・・。
「多様性の宝庫」である劇場に、図書館に、美術館に、是非ともどんどん足を運んでください。

きっと、いつも豊かな世界が待っています。